「自分で認める」=自愛というけれど、人に愚痴を聞いてもらっちゃいけないの?

こんにちは、みのりんです。

「自分で自分の感情を認めるのが自愛です」

と私はよく言っていますが、そうするとこんな質問をされることがあります。

人に愚痴を聞いてもらってはいけないのでしょうか?それは自愛にはならないということですか?
いい質問ですね!

まずは一人でやってみてほしい

もしあなたが自愛初心者なら、まずは自分一人で感情を認める作業に慣れてほしいと思います。

その理由は、自分の面倒を見られるのは結局自分だけだからです。

 

愚痴を言いたいときに友達の都合が良いとは限りません。

さみしい気持ちを吐き出したいときに彼氏が暇とは限りません。

そういうときに自分で自分の感情が認められなかったらどうなるでしょう?

優しい人に依存したり、誰彼構わずとっつかまえて愚痴を浴びせかけたり、構ってくれない人を罵ったりする非常にイヤなやつに成り下がってしまうわけですね(過去の私ですw)

ですから、初心者さんはまず自分で自分の感情を認めることに専念してください。

他人と接することがあれば、ここぞとばかりに愚痴を聞いてもらうのではなくて、できるだけ明るく楽しい話題を心がけてみてください。

それが精神的な自立の第一歩です。

感情を受け止めるのはとっても大変。だからこそ。

自愛を本気でやればわかりますが、自分で自分の感情を受け止めることは思った以上に大変な作業です。

芋づる式にどんどん感情が出てきて手に負えなくなりますし、ときには感情が高ぶって涙が出たり攻撃的な言葉を言いたくなったりしてしまいます。

ですから、「カウンセラー」という職業があるんですよね。

他人の感情を聞くという行為は、お金をもらわなければとってもやっていられないということです。

そう考えてみると、愚痴を聞いてくれる人のありがたみがわかると思います。

たとえ5分だけだったとしても、貴重な時間を割いてくれたことはあなたに愛情があるからですよね……♡

自愛をすると愚痴が上手になる?

私は自称自愛マスターなのでほとんど意識せずに自愛ができますが、それでも誰かに愚痴を聞いてほしいことはありますし、それが悪いことだとは思いません。人間だもの。

しかし、同じ愚痴でも自愛を始める前と今とでは全く違う話し方になりました。

愚痴を言いたくなるような出来事があるとすぐさま自分の心を観察して感情を認めるようになったので、愚痴として口から出す前に整理ができるようになったんですね。

 

その結果、以下のような話し方ができるようになりました。

・ただの愚痴だからちょっとだけ我慢して聞いてほしい

・アドバイスがほしいのではなくてただ共感してほしい

・私はこんなことが悲しくてつらかった

同じ愚痴でも、整理されていると聞きやすいものですよね。

以前はところ構わず愚痴を言いまくり、「客観的な意見を聞かせて」などと言っておきながら共感されないと不機嫌になり、自分の気持ちを分析することなくただ相手の人格を否定するような愚痴の言い方をしていました。

こうやって文章にしてみると改めてひどいですね!

当時から変わらず付き合ってくれている人たちには100回土下座しても足りないくらい申し訳なく思っています(白目)

 

というわけで、自愛初心者さんはできるだけ自分一人で感情を処理できるよう練習していきましょう!

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