「いいよ♡」「許します♡」という許可は本当に必要ですか?いえ、不要です。

こんにちは、みのりんです。

世の中にはいろいろなメソッドが存在しており、自愛と似ているものも多いので混同してしまっている人がいます。

その中でも多いのが「不要な許可」です。

許可しているのは「何様」?

「他人のことを妬んでもいいよ♡」

「イライラしてしまった自分を許します♡」

うーん、いかにも自愛っぽいですねぇ。

まぁ、やらないよりはマシだと思います。

「他人のことを妬んではいけない!」

「イライラするなんて絶対に許さない!」

と叱りつけるよりはよっぽどいいですね。

 

でも、このブログを読んでいる方にはもう一段階先へ進んでほしいと思っています。

それは「許可しない」というステップです。

自愛は基本的に、「他人からされてうれしいことは自分にもしてあげる。他人からされてうれしくないことは自分にもしない」というスタンスで考えていきます。

そうすると、この許可制度はあまり良いものとは思えないんですよね。

 

考えてもみてください。

「嫉妬しちゃったんだ」と打ち明けたとき「嫉妬してもいいよ♡」と言われたら。

「イライラしちゃったんだ」とつぶやいたとき「イライラしてもいいよ♡」と言われたら。

お前何様?殿様??神様???

と思いません?

私は思います。

「なぜいちいち許可されなければならないのか?」とイライラします。

自分の上に誰かを置かない

もしあなたが私のように短気でなく、「許可してくれたら普通にうれしいけどな~」と思っているのだとしたら、それはそれでいいでしょう。

しかし、これだけは覚えておいてほしいのです。

「自分の上に誰かを置いてはいけない」ということです。

許可されるということは、許可をする側の誰かがいるということですよね。

これは実在する人物ではなく「自分自身」だったりするのですが、それでも許可をする&されるという主従関係になっているのがおわかりでしょうか?

つまり、感情を感じた自分(=本当の自分)がなにかの「下」になっているということです。

許可なんていらない。あるのは自由だけ。

本当のあなたは、誰からも制限されることなくなんでも自由に感じたり考えたりしていい存在です。

ですから、いちいち脳内で許可を取る必要はないし、許可を与える必要もありません。

私がときどき「感情を垂れ流す」という表現をしているのも、許可をしてほしくないという理由があります。

感情はただ認めてあげればそれでいいのです。

「妬んじゃったんだねー」

「イライラしちゃったんだねー」

でいいのです。

自愛はそれらに許可をするメソッドではないということをくれぐれも覚えておいてくださいね。

 

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