自分に非があっても怒っていい

こんにちは、みのりんです。

今日は自愛の具体的なやり方についてご説明します。

100%の悪なんてないから

たとえば、道を歩いていていきなり自転車にぶつかられてケガをしたとしたら……

これは素直に怒れますよね。

「どこ見てるんだ!」

「治療費払え!」

ってことです。

これは自分が被害者で相手が加害者だからですね。

 

しかし、こんなに簡単に割り切れることは本当に稀です。

出来事のほとんどはグレーなのです。

 

例えば、あなたが仕事でミスをして上司に叱られたとき。

しかも

「お前の頭はカラッポなのか?え???」

「幼稚園からやり直してこい!」

なんて言い方で。

こんなとき、ありがちなのが

「そんな言い方されたら悲しいな……。でも、ミスした私が悪いんだし……」

と自分で自分の怒りや悲しみをねじ伏せてしまうことです。

これは感情を認めたことにはならず、頭でコントロールしていることになるので自愛的にはNGです。

もっと細かく細かく

自愛をしていくなかで大事なのは、感情と事実を細かく分解していく作業です。

この例でいえば、

 

・ミスをしたのは私が悪い(だから今度から気をつけよう)

・上司が叱ってくれるのはありがたい(もし叱られなくなったら見放されたということだから)

・人格を否定するような言い方は許せない(ミスしたことだけを叱るのがビジネスのルールだろう)

 

というように、出来事や感情をきちんとわけて考えることが大切です。

これがうまくできないと、

「ミスした私が悪いんだから……」

と変に卑屈になって周りの人に自分をサンドバッグのように扱わせてしまいます。

人によっては「開き直りだ!」と非難してくるかもしれませんが、それは言い換えれば「お前に非があるんだからサンドバッグになれ!」と言っているのと同じなので無視でOKです。

恩人を恨んでもいい

これはいろいろ応用ができます。

多い例でいうと、

「育ててくれたんだから親には感謝しなきゃ」

という話ですね。

少しでも親の愚痴を言うと

「何不自由なく育ててもらって大学まで行かせてもらったんでしょ?感謝しなきゃ!」

などと感謝の強要をしてくる人がいて非常に鬱陶しいなーと私はいつも思っているのですが(笑)、それとこれとは話が別なのですよね。

育ててもらったことに対して感謝することと、親のひどい仕打ちにノーを突きつけることは両立しうるのです。

同じように、親に愛された思い出と親に虐げられた思い出はどちらも持っていていいのです。

どちらかに固定しようとするから心に無理が出て苦しくなってしまうんですね。

 

「ここはうれしかった」

「ここはイヤだった」

「ここは私に非があった」

「ここは相手が悪いと思う」

などと、細かく細かく出来事を分析していくことで心が整理され、自愛が進みます。

これができるようになると、自分の希望を的確に伝えられるようになるのでコミュニケーションも上手になりますよ♡

タイトルとURLをコピーしました