なにかを否定したくなったとき

こんにちは、みのりんです。

なにかを否定したくなるときってありますよね。

会社の体制、法律、税金の仕組み、既存の価値観……

そんなとき私がいつも自分への戒めとしている言葉があります。

悪いところを責めることはなにかを成し遂げたことにはならない

「責難は成事に非ず(せきなんはせいじにあらず)」

これは、『華胥の幽夢』(小野不由美著)に出てくる言葉で、「悪いところを責めることはなにかを成し遂げたことにはならない」というような意味です。

確かに、思考停止状態で全てを肯(うべな)って生きるより、批判的な視点を持って生きるほうが賢明だと思います。

でも、批判したことで偉くなった気になってはいけないと思うのです。

「責難」の快感

私も引き寄せの法則や潜在意識ビジネスを批判したいと思いましたし、現にこのブログでもしています。

でも、それだけでは「成事に非ず」なんですよね。

本当に恥ずかしいことですが、既存の概念を否定することで偉くなったような気がするんですよ。

「みんなまだそんなの信じてるの?ww」ってな感じでね。

物事の本質をわかっている私、に酔っちゃうんですね。

あぁ恥ずかしい。

でも、否定するだけなら普通の知能があれば誰でもできるわけです。

物事には必ずメリットデメリットがあるので、そのデメリットの部分だけつつけばいいんですよね。

こんなに簡単に自己顕示欲を満たせる手段はないかもしれません。

「成事」の難しさ

引き寄せや潜在意識を否定しただけでいい気になっていては恥ずかしいので、私は自分なりの自愛のやり方を探求してきました。

でもこれまた厄介なのが、「理想論を語っただけでなにかを成し遂げた気になる」ということですね。

「引き寄せなんてオワコンでしょw自愛やりなよw」などと言って「対案を出した私」に酔うというどんぐりの背比べ。

この先には「実際にそれをやって見せる」という途方もない道のりが待っているというのに……。

ただ、やる。死ぬまで。

「自愛をやれば幸せになれます」と言うのは誰でも言えます。

でも、「どう幸せになったのか?」は自愛をやってからでないと語れないし、いくら本人が「幸せだ幸せだ」とアピールしていても周りから見て全然幸せそうでなければ説得力は全くないわけです。

しかも、一瞬だけ、うわべだけ幸せそうに見えてもなんの意味もありません。

「自愛のおかげで彼氏できましたーるんっ♪」と取り繕っても、その浅さは自分が一番よくわかっているからどんどん自分のことが嫌いになってしまうんですよね。

 

ということは、終わりがないということです。

結局、「みのりん流自愛」が正しかったと証明するためには、私が死に際に「幸せな人生だった」と思えなければならないのですから。

気が遠くなりますね(白目)

でも、そういう気持ちでこれからもブログを書きたいと思っています。

今日はそんな決意表明のようなひとりごとでした。

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