欠点との向き合い方

こんにちは、みのりんです。

今日は欠点のお話。

あなたのダメなところは?

人にはそれぞれ気になる自分の欠点があって、それは他人が「そんなにダメとは思わないけど?」「むしろ長所じゃない?」などと言ったところで覆らないものですよね。

だって気になるもんは気になるんだもん!ということです。

その欠点は「一重」とか「足が短い」というような外見的なものだったり、「彼氏いない歴=年齢」「男性に女扱いされたことがない」という状況的なものだったりと様々だと思います。

自愛において大切なのは、この欠点を拡大も縮小もせず、ただ等身大に認めてあげることですね。

「欠点のある私サイコー!」

自愛初心者さんにありがちなのが、

「欠点のある私も最高♡」

と謎の励ましをすることです。

「太っててもかわいいよ♡」

「グズでノロマでも愛してるよ♡」

みたいなことですね。

なんだかいかにも「ありのままの自分を愛している」っぽいですが、これは逆に自分をバカにしていることと同じです。

冷静に考えてみてください。

あなたの彼氏が

「お前は足が太いけどかわいいよ♡」

「お前は口が悪くて短気だけど愛してるよ♡」

と言ってきたらどう感じますか?

「ありのままの私を愛してくれてる♡きゅん♡」

と思いますか?

きっと思いませんよね。

私だったら「はぁ?なんでわざわざよけいなこと言うの?嫌味???」と思うのですがみなさんはいかがでしょうか。

このように、わざわざ欠点を取り上げて「~だけど愛してるよ♡」などという上っ面だけの愛の言葉をかけることは、自分を愛するどころか自分いじめにしかならないということです。

「どんな私でも愛する」のは当たり前です。

それが自愛ですから。

でも、「太ってるけど」「足が短くても」なんてよけいな枕詞をつけなくてもいいということです。

まぁ、みのりん流自愛は「愛してる」の言葉をかけることすら疑問視する流派なのですが(笑)、その話はまた今度。

全部否定は思考停止

先ほどの例とは反対に、自分の欠点だけを見て自分という存在そのものを否定してしまう人もいます。

「一重の私なんて死んだほうがいいんだ」

「彼氏いない歴=年齢の私なんて生きる価値ないんだ」

というようなことです。

日本人は謙虚を美徳とする民族ですから、先ほどの「どんな自分でも愛してる♡」よりはこちらの自己否定のほうがなじみやすいのかもしれません。

しかし、あえて厳しい言い方をしましょう。

欠点を自分の価値に結びつけて自分を否定することは謙虚ではなく「卑屈」といって非常に鬱陶しいものですし、自己否定は脳みそを1ミリも使わずにできる「私謙虚ですよ」を演じるポーズに過ぎません。

 

もう何十回も言っていることですが、ありのままの自分を認めることは簡単なことではありません。

「どんな私でも愛してる」

「どんな私も価値がない」

は全く正反対のことをしているように見えて根っこのところは同じなのですね。

つまり、簡単に白黒つけて考えることを放棄しているという点で同じなのです。

からまった紐をほどくように

ありのままの自分に向き合うためには、考えることと見つめることから逃げてはいけません。

「私のこういうところは欠点だな」

「私はこういうところにコンプレックスを持っているけど、だからといって私の存在そのものを否定するのは愚かだな」

というように、ひとつひとつ大切に取り出して整理していく必要があるんですね。

ノートに「愛してる愛してる愛してる」と書き殴ることは自愛ではありませんし、「私なんか死んだほうがマシだ死にたい死にたい死にたい」と数週間に渡ってぼやき続けるのも自愛(感情の吐き出し)ではありません。

それは思考停止といいます。

大切なのは感情の動きですし、その感情を否定も抑圧もせずにただ認めてあげることです。

自分に対して「愛してる」と言ったとき、どういう感情が沸いてきたでしょうか?

自分に対して「私はダメ人間だ」と言ったとき、どういう感情が沸いてきたでしょうか?

その感情をこそノートに書くべきですし、否定せずに認めるべきです。

 

ありのままの自分を愛するということは、欠点を「愛してる」の言葉で覆い隠すことではないし、欠点を武器に「どうせ私は価値がないし」と開き直ることでもありません。

自分が抱いた感情をそのまま認めることが「自愛」なので、自分への評価は不要なのです。

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