「普通」になりたい

こんにちは、みのりんです。

先日、新聞の人生相談の欄を読んでいたら

私にはなにもありません。仕事が終わったらアニメを見たり漫画を読んだりするだけの空っぽの毎日です。

という内容の相談が投稿されていました。

哲学者の鷲田清一さんは

それが普通、と考えてみてはどうか

という書き出しから始まる回答をされていました。

普通。

たぶん、この相談者さんがいちばん言われたくない言葉がこれなのだろうな。鷲田さんは鋭いな、と私は感じました。

 

これは別に相談者さんを非難しているわけではなく、私自身の過去と重ね合わせてそう思ったのですよ。

私も長い間、生きがいややりがい、パートナーや唯一無二の存在である証などがほしくてたまらなかったんです。

というか、それらを持っていない自分がどこか許せなかったんですよね。

周りの人はそういうものを簡単に手に入れているように見えていたから、

「なんであんな普通の人が簡単に手に入れられるものを私は持っていないんだろう」

と思っていたのです。

それは一見すると「普通」への憧れのようですが、実のところは自分こそが「特別」なのだという驕(おご)りでしかなかったのだと思います。

だって、

「そんなことみんな考えてるよ、普通だよ」

「それくらいの悩みはみんな持ってるよ、普通だよ」

なんて言われると、なぜか

「普通じゃない!私はこんなに大変でこんなに生きづらさを抱えているのにどうしてわかってくれないの!?」

と反発したくなっていましたから。

おかしいですよね。

「普通になりたい」と言いながら、いざ「普通だよ」と言われると怒り出すなんて。

 

今冷静に分析するなら、そこには「特別な自分」を認めてくれない周囲への反発と、「こんなスペシャルな私が普通の人以上の幸せを手に入れられないはずがない。私が今不幸なのは、幸せを手にする方法を知らないからだ」という謎の期待があったのだと思います。

こういう人が引き寄せやスピリチュアルにハマるんですよね。

誰もスペシャルな私を認めてくれないのに、引き寄せ界隈の人たちは「あなたは特別だよ」と優しく言ってくれる。

不幸なのは運か自分の努力不足かのどちらかなのに、「この方法を試せば幸せになれますよ」という甘い言葉で希望を与えてくれる。

そりゃあ、ハマります。

でも、ハマったところで幸せにはなれません。

幸せは自分で見つけに行かなければならないものだからです。

そして幸せを手にするための準備段階として、今の自分の立ち位置を正確に把握する必要があります。

 

私は確かにオンリーワンの存在だが、だからといって社会的に取り替えの利かないほどの存在価値はない、ごくごく平凡な女。

私は「普通になりたい」と口では言っているが、実は普通などになりたいわけではなくそこそこ自慢できる程度の立ち位置を手に入れたい。

もし「幸せ」になれないのだとしたら、いっそ「不幸」でもいいからとりあえず周りから注目されてかまってもらえるほうがうれしい。

 

私はこんなふうに自分を客観視したのですが、いかがでしょうか。

ここまでやると、いっそ笑えてくるんですよ。

「あはは、バカだなぁ」って。

普通になりたいと言いながらどこまでも特別であることを望んでいるなんてあまりにも恥ずかしくてなかなか認められませんが、そこをひぃひぃ言いながら認めるのが自愛です。

 

冒頭の話に戻りますが、生きがいや使命なんてあったらラッキーくらいの程度のものだと私は思います。

それらが見つからないことで「私はどうして生きているんだろう」「空っぽだ。なにもない」と悩むことが多いなら、もしかするとその「スペシャルな不幸」に酔ってはいないかを自問自答してみるといいと思います。

意地の悪い言い方ですが、

「『厭世的な私』に酔うのがあなたの楽しみなのではないですか。」

と聞いてみたら、きっと怒り狂うことでしょうね。

当時の私のように。

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