【実録】自愛マスターみのりん、創価学会員に絡まれる(後編)

こんにちは、みのりんです。

私が創価学会員に絡まれた実録シリーズ、いよいよ最終回です。

 

K「で。感想は?」

とにかく、帰りたい。

その願望を叶えるためには今ここでこの人と闘うべきではないと考えた私は、彼女に迎合した精一杯の模範解答を述べます。

私「私もまだまだ未熟な人間だから、そんな考え方があるんだって勉強になったよ。自分の考え方に固執せず、良い考えはどんどん取り入れていくべきだなーと思ってる」

「創価バンザイ!」でない私のテンションに若干の不満を感じたのか彼女の表情は決して明るくはありませんでしたが、それでもあからさまに拒否をされなかったことで幾ばくかの自信は得たようです。

K「ほんと、乗り越えられない試練はないんだからとにかく南無妙法蓮華経を唱えて!私はみんなにこの話をしてるんだよ。みのりんは今後結婚するかもしれないけど、結婚がゴールじゃないし、結婚したからこその困難っていっぱい出てくると思うからさ。でも、絶対乗り越えられるの!絶対最後には幸せになれるの!」

先ほどの繰り返しの話が、「結婚」というワードとともに語られたとたん空虚さを増しました。

なぜなら、彼女自身が夫婦間で問題を抱えているとランチのお店で話していたからです。

そのときは同情もしましたし彼女の幸せを願いもしましたが、今となっては「その我の強さと浮世離れした非常識さが原因だろう」としか思えませんでした。

そもそも、乗り越えられない試練はないんですよね?

南無妙法蓮華経さえ唱えれば必ず乗り越えられるんですよね?

よかったじゃないですか、絶対に幸せになれる秘策を知っていて。

その通りにすれば絶対ハッピーなのだから、いちいち悩むことはないですよね。

やっぱり「界」が上の人は違いますね。

私のようにたいした悩みもなく日々のほほんと幸せに生きている低俗な人間には考えられないほどのハードモードな人生を送っていらっしゃいます。

魂の研鑽を重ねているその崇高な生き方は、とても私のような未熟な人間には真似できそうもありません。

やぶれかぶれな気持ちで脳内で悪態を並べ立てている私に、最後の追い打ちがかけられました。

これにてゲームセット。

K「よかったーこの話ができて!今日はこの話をするために来たから、どう切り出そうかずっと機会を伺ってたんだよ」

この話を、するために。

私の一縷の望みは、「私の『起こる出来事に意味はない』発言が彼女の創価スイッチを押してしまったのだろう」ということでした。

私が不用意に彼女の信仰に触れるようなことさえ言わなければ、このまま良い友達として楽しい時間が過ごせたに違いないと思っていたのです。

しかし、それは甘すぎる見立てでした。

彼女は最初からこの話題をメインに据えてやってきていて、それまでの楽しい時間は全て「前座」に過ぎなかったのですから。

誤解を招くといけないのですが、私は彼女の目的を「布教」だと捉えているわけではありません。

現に彼女自身も「信じてほしいわけじゃないし信者になってほしいわけでもない」と言っていました。

(「なぜなら、世の中の摂理は創価の教えの通りになっているのだから今さら信じる信じないは大きな問題ではない」というぶっ飛んだ理由ではありましたが)

彼女は純粋に私のことを大事な友達と認識していたのだと思います。

だから、そんな大事な友達の私が「起きる出来事に意味はない」などというおかしな思想を信じ込んだり電子書籍まで出して広めたりしていることが本当に心配で、必ず幸せになれる創価の教えをぜひ授けなければという使命に駆られたのでしょう。

これが宗教の怖いところなのですよね。

詐欺師は「楽して金を儲けたい」という明確な悪意があるぶんわかりやすいのですが、宗教を勧める人はそれが本当に素晴らしいものだと信じ込んでいますから、いわばボランティアのような奉仕の精神で考えを押しつけてくるので対処に困るのです。

彼女は私を不幸な思想から救ったつもりかもしれませんが、私にとっては彼女に話を聞かされることこそが「不幸」であり、彼女から一刻も早く解放されることこそが「幸福」でした。

魂の学びなどという絵空事に興味はありません。

私にあるのは今ここにある一瞬一瞬のみ。

その一瞬一瞬をいかに意義深く幸せに生きるかということが私の至上命題であるため、彼女の存在は私にとって害でしかありませんでした。

 

まだ創価の話が出る前のこと、彼女は私にこう聞きました。

K「みのりんは『自愛マスター』と名乗ってるけど、それってなんなの?どこかで認定される資格?」

どういう教育を受ければ「自愛マスター」などというふざけた肩書きが認定資格と思えるのか理解に苦しみますが、これもひとえに彼女が純粋であるせいかもしれません。

まだ彼女を友達と認識していた私は、笑いながら答えました。

私「あはは、私が遊びで勝手に名乗ってるだけだよ。『ポケモンマスター』みたいなもの」

K「そうなんだ。資格とかじゃないんだ」

腑に落ちないような顔でつぶやいたKさん。

資格じゃなかったら、どうだというのでしょう。

私は自分なりに「自愛マスター」とはなにかを考え続けてきましたし、自愛というメソッドに固執することなく自分に誤りや不足があればただちに謝罪して訂正するつもりで電子書籍も出版しました。

確かに自愛マスターは私が勝手に名乗っているだけの肩書きですが、私は自分の頭で考え、自分で実践してここまで生きてきたことに誇りを持っています。

そしてKさん、あなたに足りないのは「自分の頭で考える」ということではありませんか。

「国連加盟国と同じくらいの国の人が信じている宗教」だとか「絶対幸せになれる教え」など、威勢ばかりの良い表現に安心しきってはいませんか。

本当に有能な医者は「絶対治ります」とは言いません。

本当に有能な弁護士は「絶対勝てます」とは言いません。

それは自分に自信がないからではなく、その場しのぎのビッグマウスが後々の誤解や悲劇を招きかねないという正常な危機感を持っているからだと思います。

自身を委ねるかどうかはあくまで患者や依頼者が自分の頭で判断すべきことであって、権威や甘言をふりかざして押しつけるものではないのです。

信仰もそれと同じでしょう。

自愛は宗教ではありませんし私は教祖でもありませんが、「自愛」というメソッドを試す人はきちんと自分の頭で考えて選択ができる人であることを望みます。

幸せになれる絶対的な方法がここにあるなどという妄言を撒き散らさないことが、なんのとりえもない私が誇れる数少ない美点なのかもしれません。

 

お別れの時間が迫りようやく解放された私は、新幹線の座席に重い身体を投げ出しました。

ガンガンと痛む頭をほぐすようにこめかみを揉みながら、Kさんに持たされた雑誌を、見るともなくぼんやりと眺めます。

 

こころと身体の健康マガジン パンプキン

冬のあったか和食

簡単で、かわいいギフトチョコ

連載エッセー 池田大作(創価学会インターナショナル会長)

 

あぁ、そういうことか。

全てがつながった気がして、私は妙に納得したのでした。

(終)

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