さみしさに向き合っているのにさみしさが消えない理由

それは、さみしさに向き合っていないからです。

以上。

 

こんにちは、みのりんです♡

(♡をつけて気まずさをごまかす作戦)

最近、

ずっとさみしさに向き合っているのにさみしさが消えません

みたいなラインをたくさんいただくので単刀直入に答えてみました。

あのね。

「さみしさが消えません」という発想が出る時点で、全然さみしさに向き合えてないんですよ。

本当にさみしさに向き合えていたら、出てくるのは「そっか、今日もさみしいんだね」という観察結果だけです。

さみしさを消すためにさみしさに向き合ったフリをしたってなんの意味もありません。

それはヒステリックな母親が「褒めて育てているのに子どもが全然言うことを聞きません」と言うのと似ています。

それ、本当に褒めてますか?

褒めたフリじゃないですか?

ってことですよ。

 

そもそもね。

さみしさって絶対に消えないんです。

これだけは本当にわかってほしい。

たまに

「みのりんは彼氏がいるからさみしくないでしょ?私なんかフリーだからさ……」

みたいに言われることがあって、それを否定するとなんだかマウンティングっぽくなるのでその場ではわざわざ否定しませんが……違うんですよ。

彼氏がいたってさみしいときはあります。

それは「彼と会えないからさみしい」「デートの別れ際がさみしい」というわかりやすいさみしさではなくて、もっと漠然とした感情です。

「さみしさ」というとどうしても対人関係のこととして捉えられがちなので、あえて別の言葉をあてるなら「欠乏感」ですかね。

なにかが足りない、という感覚です。

この欠乏感は彼氏がいようが夫がいようがファンが1万人いようが関係なくみんな持っているものです。

そして、その漠然とした欠乏感になにか理由づけがしたくて、その理由を自分が持っていないものに求めるんですね。

 

例えば、フリーの人は「彼氏がいないから」。

結婚している人は「夫と子どもの世話以外に自分の存在価値を見いだせないから」。

ファンが1万人いる人は「みんな私の外見や作られたキャラを応援しているだけだから」

だから、さみしい。

もともとさみしいという欠乏感はすでに心の中にあって絶対に消えないものなのに、それが消えないなんて信じてしまったら絶望するから、「○○さえ手に入ればさみしさは消えるはず」なんて無理やりこじつけてしまうのかもしれません。

彼氏さえ手に入れば。

社会的に認められる仕事さえ見つかれば。

飾らない私を愛してくれる人さえ見つかれば。

それらが見つかったってさみしさは消えないのに。

 

でね。

「さみしさが消えないなんて信じてしまったら絶望するから」

と書きましたが、これも間違いなんですよ。

そんな気がしてるだけなんです。

さみしさにちゃんと向き合ったことがないし、さみしさを自分の一部として受け入れたこともないから、さみしさを過剰に恐れているだけです。

さみしさを消そうとせず、それも自分の大事なパーツの一つなのだと割り切ること。

これが「さみしさと向き合う」ということです。

 

さみしさを敵視しないでくださいね。

もちろん私だってできればさみしさは感じたくないです。

さみしさを感じないためならある程度無茶なこともできてしまいます。

だけど、そうやって逃げ回っていても絶対にさみしさはいなくならないとわかっているので、それならいっそのこと降伏してしまったほうが楽だと思うんですよね。

「もう消そうとなんてしないから許してください(土下座)」

って感じです!

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