自分の気持ちを固める?

こんにちは、みのりんです。

最近「自分の気持ちを固める」という表現を目にしたのですが、これは私にとってすごく違和感のある言葉でした。

「固める」って、なんだか無理やりな感じがします。

ニュアンスとしては「型にはめる」に近いような。

そもそも、気持ちが完全に固まることなんてあり得るのかな?と疑問に思いました。

 

たとえば、ですよ。

究極の愛は母性愛だと言われたりしますが、母親が子どもを産んだとき「この子を一生愛する」と気持ちを固めるというのは、子どもを産んだことのない私でもなんとなく理解はできます。

でも、それは未来永劫気持ちが1ミリもブレないことを保障するものではないと思うし、ブレないことが偉いというわけでもないと思うのです。

子育てで心身ともにボロボロになっているとき、泣き止まない我が子を目の前に「いっそこの子が死んでくれたら楽になれるのに」と思ってしまった、という話を聞いたりしますが、それって仕方のないことではないでしょうか。

それは子どもを愛するという決意が足りなかったからなのでしょうか?

もっと気持ちを固めてから子どもを産むべきだったのでしょうか?

1ミリのブレもなく子どもを愛せないことは果たして「悪」なのでしょうか?

私はそうは思いません。

 

わかりやすいように子育てのたとえ話を出しましたが、これはどういう場面でも同じだと思うんですね。

どういうわけか「ブレない」「折れない」が偉いというような風潮が蔓延していますが、ブレたり折れたりすることってそんなに悪いことでしょうか。

誰だって始める前は「ブレたくない」「折れたくない」と思って悩みながら物事を始めるし、ブレる恐怖や折れる恐怖と闘いながら目の前のことにがむしゃらに取り組んでいるのではないでしょうか。

わざわざ固めなければ固まらないような気持ちなら、無理に固めなくていいと思うのです。

バラバラのまま、ぐちゃぐちゃのまま、たまには取りこぼしたり溢れさせたりしながらでも、自分の持てる範囲で一生懸命抱えていけばいいと思うのです。

持てなかったぶんはあとで拾いに行ってもいいし、誰かに届けてもらってもいいですしね。

 

4月から新生活が始まった人も多いでしょう。

5月からは元号が変わり、なにか新たな決断をする人もいるかもしれません。

そんなあなたに私が言える数少ないアドバイスは、「ブレていいよ」ということです。

自分で決めたことだって、自分で選んだ道だって、「あれ?違うかも?」と思っていいんですよ。

「やめたい」と思ってもいいし、「引き返したい」と思ってもいいし、実際にやめたり引き返したりしてもいいんです。

もちろん、歯を食いしばってしがみつくのもアリですしね。

 

私は「みのりん」という一人格ですが、それと同時に読者さんの「もう一人の私」でもありたいと思っています。

どういうことかというと、読者さんの感情や思考を全肯定する存在でありたいということなんですね。

親が、社会が、友達が、恋人が、そしてときにはあなた自身が、あなたの感じたことを否定したり抹消したりすることがあるかもしれません。

でも、あなたの感じたことは全て正しいのだということを、私は伝え続けていきたいのです。

ブレたり折れたりするのは、きちんと自分に向き合っている証拠です。

自分を無視している人は絶対にブレたり折れたりしないですからね。

だからあなたは絶対に正しいのです。

 

なーんて。

人に言うのは簡単でも、自分にやるのはとっても難しいのが「自愛」だったりするんですけどね~。

私も自分の感情や思考をついつい否定してしまうし、家族や恋人など自分と距離の近い人ほど「もっとこう考えなよ」と考えを押し付けたくなってしまいます。

反省反省。

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