なぜわざわざ感情を認めるのか?

こんにちは、みのりんです。

世の中には「善い」とされている価値観がたくさんありますね。

例えば、

・親孝行すべし

・親は子どもに無償の愛を注ぐべし

・困っている人がいたら自分を多少犠牲にしてでも助けるべし

・他人に依存するべからず

なぜか堅苦しい口調になりましたが笑

こういう価値観って世の中に浸透していて、だからこそ社会生活が円滑に回っているという側面もあるのですが、それを個人のレベルにまで徹底させようとすると心に無理がきます。

 

私たちって、どうしても良くないことを考えるじゃないですか?

「良くない」とまでは言えないにしても、ロクデナシっぽいことを考えたり望んだりすることって結構ありますよね。

「あー働かずにお金がもらえる生活がしたいー」

「誰か3食昼寝つきで扶養してくれないかなー」

「男ならケチケチせずに奢れよなー」

とかね♡(ハートをつけることで表現をマイルドにする作戦)

でも、善良な人ほどそれを認められないんですね。

「そんなこと思っちゃだめ!」

「もっとちゃんとしなきゃ!」

なんて自分を叱ったりするわけです。

 

しかし、自愛的にはこうすべきです。

「どんなロクデナシ思考でもまずは認めましょう」

いいですか?

感情を認めることと、その欲望の通りに行動することは全くの別問題です。

まずはそこを理解してください。

例えば、あなたが「男性には奢ってほしい」と思っているとしますね。

これを認められない人は、あらゆる方法を使って脳内でこれを打ち消します。

「そんなのバブルの時代の思考だし」

「そんな依存的な女は無理って元彼が言ってたし」

「私だって働いてるんだし」

そうやって自分を納得させようとしてしまうんですね。

でも、まずはここを認めることが大事です。

「認める」とは、

「私は男性に奢ってもらいたいんだーーー!」

という思いを否定しないということです。

「私は奢ってもらいたいんだ!平等とか元彼とか、そんなの知らない!だって奢ってほしいんだもん!」

と開き直ることですね。

これが自愛の第一段階の「感情や思考を認める」です。

 

ついて来てますか?笑

「私は男性に奢ってもらいたい」という気持ちを認めたら、第二段階の「行動」に進みます。

ここからが重要ですよ。

絶対に覚えてください。

「行動はあなたが選ぶ」のです。

あなたには行動を選ぶ自由があります。

それはつまり、男性に奢ってもらうことを選んでもいいし、奢ってもらわないことを選んでもいいということです。

もし奢ってもらいたいなら、「いくらでしたか?」「私も出します」などと言わなければいいですよね。

でも、もし奢ってもらわないならお金を出せばいいのです。

 

ここでつまづく人が多いので丁寧に解説していきますね。

「感情を認める」というと、一旦認めたらその通りに行動しなければならないと勘違いしている人がとても多いのです。

だから認めないんですね。

「今どき奢ってもらいたがる女なんてモテないから」と自分に言い聞かせたりして。

でも、感情を認めることと行動は明確に分離すべきです。

つまり、

「私は奢ってもらいたいタイプの人間だが、モテるために財布を出すフリくらいはしよう」

という選択肢を取ってもいいわけです。

(財布を出すとモテるかどうかは知りません。あくまでたとえ話ですよ)

どうせ財布を出すならどうして奢ってもらいたいという感情を認める必要があるのか?

わざわざ「認める」などというややこしいプロセスを踏まなくても同じでは?

と疑問に思うかもしれませんが、その理由は「主体性」にあります。

自分の気持ちを認めずに財布を出すという行動をする場合、その行動は「自分で決めたこと」ではなくて「そうすべきこと」という位置づけなんですね。

自分の本心を置き去りにしたまま、「一般的には」「元彼と付き合ってたときは」「友達カップルは」というように周りの声が根拠となり、「そうしたほうがいいはず」と自分に思い込ませている状態なのです。

これでは主体性が全くありません。

自分で決めていないからです。

しかし、感情を認めるという段階を踏めば、そのあとの行動は主体性を持って自分で決めることができます。

本当は奢ってほしいと思っている自分の本心にきちんと向き合ったうえで、今取るべき最善策を考えることができるんですね。

こうすれば自分の人生を主体的に選べるようになるので、後悔が減るのです。

 

解説はここまでで一応終わりですが、もっとわかりやすいたとえを最後に置いておきましょう。

あなたに娘がいるとして、彼女が「このワンピースがほしい」と言っているとします。

そのとき、娘の感情を認めないタイプの母親は

「そんな派手なワンピースを欲しがるなんて色気づいて」

「センス悪いわね」

「ほしくないほしくない、気のせいよ」

などと言います。

つまり、「ワンピースをほしがっていること」そのものを否定しているんですね。

しかし、認めるタイプの母親はおそらくこう言うでしょう。

「ほしいのはわかった。でも、お母さんはそれは派手すぎると思うから買わない」

「派手すぎる」の部分は「高すぎる」「すでに服はたくさん持っている」などなんでもいいのですが、要するに「ワンピースがほしい」という気持ちは認めたうえで、それを買うか買わないかという選択をしているんですね。

同じ「買わない」という結論ですが、娘の感じ方は全く違うはずです。

前者は「否定された」と感じ、後者は「買ってもらえなかった」と感じるでしょう。

どちらが健全でしょうか?

「認める」ことの大切さが伝われば幸いです。

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