認める=「許可」ではない

こんにちは、みのりんです。

私はいつも「感情や思考を認めましょう(=自愛)」と言っていますが、ちょっと誤解を招いているようなので解説します。

 

私のいう「認める」とは、

・否定しない

・ジャッジしない

・深掘りしない

・つつかない

・ねじ曲げない

というような意味です。

「垂れ流す」と表現することもあります。

 

でも、この「認める」を「許可」のように解釈してしまっている人がたまにいるんですね。

どういうことかというと、

「○○と思ってもいいよ」

「△△と感じてもいいよ」

というニュアンスで感情に接しているのです。

 

これは非常にややこしい話になりますがしばしお付き合いください。

引き寄せにハマっていたときのように、

「○○と感じちゃダメ!(=否定)」

と自分の感情を否定するのは最もやってはいけないことでしたよね?

それと比較するなら、

「○○と感じてもいいよ(=許可)」

のほうがいくらかマシです。

でも、この許可の段階はできるだけ早めに抜けだしてほしいと思っています。

なぜなら、「許可」をするということは、「良い・悪い」という2つの価値観の板挟みになっているからです。

引き寄せにハマっていたときは、「ポジティブ=善」「ネガティブ=悪」という価値観の間でみなさんひどく苦しみましたよね。

そこから抜け出したくて自愛を始めたはずなのに、またしても「許可(良い・悪い)」の二極に囚われているのだとしたら結局やっていることはあまり変わっていないんですよ。

それがたとえ

「なにを感じてもいいよ」

「なにを考えてもいいよ」

という「オールオッケー」の精神から発した言葉であったとしても、やはり「いいよ」とわざわざ許可している時点でどこかしらジャッジをしているという印象は拭えません。

自愛にジャッジは厳禁なのです。

 

様々なメソッドを知っている人からすれば、自分の思考や感情を垂れ流すことのシンプルさが逆に不安を駆り立てるかもしれません。

「え?こんなことでいいの?」

「え?もっとなにかしなくていいの?」

と思うのも無理はありません。

でも、それでいいんですよ。

私たちがすべきことは自分の感情や思考に気付くことであって、それをコントロールすることではありません。

気付いたらそれで第一段階はおしまいなのです。

(ちなみに第二段階は「行動」です。)

とってもシンプルな第一段階を、無理にこねくり回そうとしないでくださいね。

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