自分で自分を認めること。相手に自分を認めさせること。

こんにちは、みのりんです。

今日は私の自愛の話をします。

 

先日、彼と音楽の話をしていたとき、彼が

「みのりんは音楽の才能があるんだから、作曲とかしてみるのもいいんじゃない?」

と言ったんです。

私に本当に音楽の才能があるかどうかはさておき、特に興味のある話でもなかったので「そうだね」「そうかもね」と流していました。

しかし彼がなかなか作曲の話をやめないので、私はついこう言ってしまいました。

「あのね。私は通っていた音楽教室で小学生の頃から作曲のコンクールに何度も出場させられてたの。私は作曲なんて大嫌いだったのに先生も親も作曲を強要してきて、『モティーフ(曲の核となるフレーズ)が思いつくまでピアノの前から一歩も動くな』と叱られて、ときには叩かれたりもしてたの。だから作曲のことは考えるだけで苦しいの」

すると彼は重ねてこう言いました。

「でも、それだけ高い教育を受けさせてもらえる人なんてそうそういないと思うよ」

「習い事をしたくてもできない人もたくさんいるしね」

「そうういう教育を受けてきたから、今の音楽の才能につながってるんじゃないかな」

ここで私の心のマグマが噴火し、怒りがメラメラと沸き上がって泣きそうになりました。

(私は怒りのボルテージが上がると自動的に涙が出ます笑)

これが赤の他人だったら「なに正論並べてんだよ、うぜぇ」で済むのですが、相手が恋人だけに「どうして理解してくれないの?どうして私の気持ちに寄り添ってくれないの?」という悲しさもあったんですよね。

そこで私はこんな行動を取りました。

しばらくは

「うん」「うん」「そうだね」

と不機嫌そうに相づちを打っていたのですが、彼もさすがに空気がおかしいことに気付いたのか、

「そうは言ってもみのりんはつらかったのかもしれないけどね」

「またみのりんの演奏を聴かせてね」

と言ってきたので、私は

「確かに今の私があるのは過去のおかげかもね」

と優しく答えました。

 

どうしてここまで細かいやり取りを書いたかというと、自分の気持ちを認めることとそれを相手に認めさせることは全くの別物だということをお伝えしたかったからなのです。

 

私は確かに、正論をぶつけられてすごく悲しかったし腹が立ちました。

これは紛れもない事実ですし、悪いことだとは全く思っていません。

習い事をしたくてもさせてもらえなかった子どもが世界のどこかにいたとしても、そのことは習い事でつらい思いをした過去の私とは全くの無関係なのですから。

「恵まれているから文句を言ってはいけない」

という呪いに苛まれている人もたくさんいるので言っておきますが、恵まれていることとあなたがつらいこととはなんの関係もないですからね。

恵まれていたって、周りを恨んでいいのです。

だってあなたがそう感じたのだから。

「恵まれているのだから~」なんて言っていたら、結局「生きたくても生きられない人もいるのだから、生きているあなたは文句を言ってはいけない」という理屈まで成り立つことになってしまい、誰もなにも言えなくなってしまいますよ。

だから、ちゃんと怒っていいし、ちゃんと恨んでいいんです。

私は習い事なんてしたくなかった。

叩かれながらピアノなんて弾きたくなかった。

それを「習い事をしたくてもできない子もいるのに」なんて正論で返してほしくなかった。

私はそう思いました。

 

でね。

私はこうして自分の感情を認めたわけですが、それを彼に認めさせるのは違うとも思ったんですよね。

ここのところのニュアンスがとても微妙なのでできるだけ頑張って言葉にしてみますが、それは「嫌われたくない」とか「好かれたい」というような媚びの姿勢ではなく、「ムカつくけど、彼には彼の感情や思考があるんだよなー」という諦めにも似た姿勢です。

伝わるでしょうか?笑

読者さんから送られてくるラインを見ていると、どうもこのあたりが曖昧になってしまっている人が多いように感じます。

「どうして私の気持ちを認めてくれないの!?」

「どうして本音で話しているのに受け入れてくれないの!?」

という感じですね。

これをやり始めると途端に独裁者になるんですよ。

もちろん「どうして!?」「なんで!?」と腹を立てるのは全く構わないのですが、それを相手に押しつけ始めるとおかしいことになりますよ、という話です。

これはもしかしたらつらい宣告かもしれません。

自愛さえすれば、本音でぶつかれば、きっと相手は認めてくれる……。

そうやって信じているほうが幸せだったかもしれません。

でもね。

これは朗報でもあるんですよ。

だってあなたも相手のことを無理に認めなくて済むからです。

相手の考えに全く賛同できないのに、

「どうしてわかってくれないの!?」

「本音でぶつかってるのになんで受け入れてくれないの!?」

なんて言われても「いやいや知らんがな」「こいつめんどくさいな」と思うじゃないですか?

自愛してるとか本音でぶつかってるとかそんなのはどうでもよくて、人間にはわかりあえることとわかりあえないことがあるのだから、お互いに強要するのはやめたほうがいいと思うんですよね。

 

私の話に戻りますが、私は結構損得勘定で動いています。

自愛マスターなのに意外!と思われるかもしれませんが、私は「本音を伝える」とか「素を出す」などということにそこまで大きな価値を見出していません。

出したほうが良い本音と出さないほうが良い本音があると思っています。

だから今回も、抑えきれない苛立ちはあったにせよ、それをぶつけて彼に理解してもらうとか、不機嫌を長引かせて反省を促すとか、そういうことをするつもりはなかったんですよね。

それだけの価値がない案件だと思ったからです。

もっと大事なことなら話し合いや喧嘩も必要かもしれませんが、幼少期の習い事のトラウマなんて彼とのパートナーシップにおいてはなんの意味も持ちませんからね。

そんなことより、せっかくのデートで無駄に不機嫌になって雰囲気をぶち壊すほうが「損」だと判断しました。

 

「自愛をする」というと「あらゆる人に本音を伝えるべき」「全ての場面で素を出すべき」と勘違いする人も多いのでこのような話をしました。

もちろんあなたがそうやって丸裸で生きることを望むならそうすればいいですし、それ以外の生き方を望むならそうすればいいということです。

それ自体は自愛とはなんの関係もないので、好みの問題ですね。

自愛とは結局、

・自分の感情や思考を認める

・行動する

の2点だけできていればそれで良いのですから、私は「過去のトラウマを理解してもらうことより彼との楽しいデートの時間を優先したい」という自分の本音に従って行動しただけです。

 

これはあくまで私の考えなので、まるごと鵜呑みにしないでくださいね。

ちゃーんと頭を使って考えることがいちばん大事です。

 

こんなときだけ彼の話題を出して誤解を招いたかもしれませんが、普段は平和すぎて特に書くことがないだけですのでご心配なく……笑

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