いらない感情は手放せばいい

こんにちは、みのりんです。

私は日々「自愛を深めるヒントはないかなー?」とアンテナを張って生活しているのですが、先日ネットのコラムでこんなものを見つけました。

「恨みは手放せばいい」

読み進めていくと、

「恨みという感情は腐ったおにぎりのようなもの。それをバッグに入れていると他のものまで悪影響が及ぶ。腐ったおにぎりを渡されてしまったのはあなたのせいではないけれど、いつまでも持ち続ける必要はない」

というようなことが書かれていました。

これが響く人もいると思います。

素直な人は「あ、そっか、手放せばいいんだ!」と気持ちが楽になるかもしれません。

でも、私のようにひねくれた人は

「手放せばいいのはわかるけど、一体どうやって?」

「そう簡単に手放せたら苦労しないよ」

と思うのではないでしょうか?

今日はそんなお話をします。

 

そもそも……の話になりますが、「恨み」って本当に腐ったおにぎりなのでしょうか?

私はちょっと違うと思うんです。

腐ったおにぎりって、明らかなゴミじゃないですか。

私は感情にゴミなんてないと考えています。

そりゃあね、恨みや復讐心に取り憑かれて生きるのは得策ではないし本人も周りもつらいだけだとは思いますよ。

でも、そういう感情そのものをゴミ扱いしてしまったら、そういう感情を発生させる私たちはゴミ製造器だということになってしまいます。

そういう考え方って本当に幸せでしょうか?

私たちは排泄物というゴミを出しているのでそういう意味では確かにゴミ製造器かもしれませんが、それだって単純にゴミを発生させているわけではなくて、きちんと養分を摂取したうえで残りカスを排出しているだけなんですよね。

ですから、恨みのような感情も決してゴミではなくて、生きる過程で必要だった存在と考えたほうがいいと思います。

 

でね。

「恨み」みたいなものは、手放そうとしてポイポイ手放せるものではないんですよ。

5万円くらいする手放しセッションを受けてもいいですけど、きっと「私は本当に手放せたのか?」と疑問に思うか、「手放せた!手放せた!(ということにしておかないと5万円をドブに捨てたことになる!)」と自己暗示をかけるかどちらかになると思います。

私は、別に手放さなくてもいいと思うんですよね。

恨みを排泄物のようなものだと考えると、その溜め方と出し方に気をつければなんの問題もないのです。

冒頭にも書きましたが、恨みに取り憑かれて生きるのはやめたほうがよさそうですよね?

だったら、取り憑かれないように共存して、溜め込まないようにときどき排泄してやればいいと思います。

 

その方法が自愛ですね。

共存するというのは、認めるということです。

「そこにいてもいいよ」と許可するのではなくて、

「そこにいるんだね」と認識するだけです。

排泄するというのは、ノート等に書き出すということです。

溜め込まず、かといってそこらじゅうにまき散らすこともせず、決められた場所で淡々と出していけばいいのです。

いつも私が勧めている自愛の方法、そのままですよね。

自愛のいいところは、どの感情に対しても全く同じ対応をすればいいという点です。

喜びだろうが悲しみだろうが恨みだろうが、やることは全部同じなんですよ。

「そこにいるんだね」と認めて、溜めるのがつらくなったら書き出すだけ。

そうやって全ての感情に対応できるから、自愛は簡単に続けられるんです。

これがいちいち感情別に対処法を変えなければならないのだとしたら大変すぎてできませんよー。

感情なんてひとつではなくていろいろ複雑に絡み合ってますしね。

 

というわけで、恨みは手放さなくていいです!

腐ったおにぎり扱いをしないで、きちんと存在を認めてあげてくださいね。

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