なぜほしいものに限って手に入らないのか?

こんにちは、みのりんです。

「ほしいものが手に入らない」って、多くの人に共通する悩みだと思います。

わかりやすいところでいうと「恋人」「結婚」「子ども」「お金」などが思いつきますが、そのほかにも、私は今まで読者さんからたくさんの「ほしいもの」を聞いてきました。

「仲の良い両親」

「お金の心配をしなくて良い子ども時代」

「小さい頃友達と遊んだ思い出」

「バイトをせずに過ごす学生時代」

「甘やかしてくれるおじいちゃんおばあちゃん」

「ふるさと・地元」

「なんでも話せる同性の親友」

などなど、ほしいものは本当に多岐に渡ります。

そして、その「ほしい度合い」もさまざまなんですよね。

いつもいつも喉から手が出るほどほしかったり、もう絶対に手に入らないとわかっていながらもふとしたときにまた「ほしいな」と感じたり。

 

いろんな人の話を聞いていて、私はずっと不思議でした。

「どうしてほしいものに限って手に入らないのだろう?」と。

私はずっと彼氏がほしかったのですが、ずっと彼氏がいる友達は「私は仲の良い両親がほしかった」と言っていました。

仲の良い両親を持つ私からしてみれば「両親の仲なんて今さら私にはなんの関係もないし、彼氏がいたほうがよくない?」と思ったのですが、彼女からしてみれば「彼氏なんていつもでとっかえひっかえできるけど、親に代わりはいない」ということのようです。

 

またあるとき、別の人が「親友がほしい」と言っていました。

彼女は夫も子どももいるのだから、私からしてみれば羨ましい存在なのですね。

夫にとってはたった一人の妻で、子どもにとってはたった一人のママで、それ以上の幸せがありますか?と。

でも、彼女は彼女で「結婚相手は婚活で見つけられるかもしれないけど、親友はそもそもどこで見つければいいのかわからない。夫と子どもしかいない人生はさみしい。私も親友と長電話したり旅行に行ったりしたい」と言いました。

 

これは決してマウンティングではなく本心なのだと私は感じました。

彼女たちは私が喉から手が出るほどほしいものを持っているにもかかわらず、私の持ち物(仲の良い両親、親友)が心からほしいのだと。

不思議ですよね。

だって、それが逆ならよかったじゃないですか?

私には結婚が手に入って、

Aさんには仲の良い両親が手に入って、

Bさんには親友が手に入れば、

それでみんなが幸せだったはずなのに。

 

そして私が思い至ったのは、

「そうか、持っていないものだからほしいんだ!」

ということでした。

って、わざわざ偉そうに言わなくても、こんなこと当たり前なんですけどね笑

そりゃそうですよね。

持っているものや簡単に手に入ったものは「ほしい」なんて思う必要がありませんから、今持っていないものをほしがるのは当たり前のことです。

 

でね。

こういう話をすると、たいてい出てくるのが

「自分の今持っているものに感謝しましょう」

「失ってはじめて気付くこともあります」

「足るを知る」

という話ですよね。

要するに「それ以上ほしがるな」ということです。

「世の中にはそもそも生きたくても生きられない人がいるんだから命があるだけで~」

とかね。

私はひねくれ者なので、こういう考えには賛同できないんですよ。

言っていることは正しいと思うのですが、

「そっか!じゃあ私も持っているものだけに感謝しながら生きよう!♡」

なんて素直には思えません。

普通に生きているうちは命のありがたみなんて感じないし、健康なうちは健康のありがたみなんて感じません。

親だって、親友だって、「いて当たり前なんて思ってませんよ~」という態度を装っておきながら、内心は「いて当たり前」と思っています。ごめんなさい。

 

でも、これが人間という生き物なのでは?と、今は思っています。

自分が持っているものには無頓着で、人の持っているものばかりほしくなって、でも最終的には「私の持っているものってかけがえのないものだったんだ……!?」と悟りながら死ぬ、みたいな笑

こんな人生はイヤですか?

私は不思議とイヤじゃないんですよね~。

もちろんほしいものはできれば手に入れたいですし、手に入れられないまま「ほしかっ、た……(ガクッ)」と死ぬのはできれば避けたいですけど、それも含めて人間臭くていいかなーと思ったりしてます。

 

スピリチュアル界隈だと、ここ数年は目覚めの年だそうですね。

簡単にいうと、「この世界は完全無欠なのだ」という目覚める人と、「もっとほしいもっと足りない」という目覚めない人との2パターンに別れるそうです。

なんでも、目覚めるとほとんど欲がなくなるそうですよ。

「あれがほしいこれがほしい」という気持ちがなくなって、ただそこにいるだけで大いなる存在に守られている安心感が得られるそうです。

すごいですよね。

 

ただし、私はこれまで「目覚めた人(自称)」には一人しか会ったことがありませんし、その人は自分が目覚めているのをことさら強調して目覚めていない人を見下すような態度を取っていたので、私の中では「目覚めるとは一体なんぞや(白目)」という疑わしい心境に至っています。

その人いわく

「人生という名のアトラクションでずっと楽しんでいたいならそれでもいいけれど、神とともに世界を創造する幸せを選びたいならいつも教えますよ」

ということらしいですが、神とともに世界を創造するって、要するにディズニーランドを建設するみたいなことですよね?

それって確かに達成感がありそうですが、なんだかいろいろ考え事が多くて大変そうなのでとりあえず遠慮しておいて、私は誰かが作ってくれたディズニーランドで「ポップコーンおいしい!」「パレードが中止になった!」「アトラクション怖すぎ……」などと騒ぎながら生きていこうと思います。

 

なにが言いたいのかよくわからなくなりましたが、結局は「手に入らないのってつらいよねぇ。でもそれが私だもんねぇ」という感じです。

あなたはどう思いますか(^^)

 


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