こんにちは、みのりんです。
このブログの読者さんは人生をもっと良くしたいと悩んでいる人が多いのですが、そういう人でもぽっかりと幸せな状態に収まることがあります。
今までは「つらいつらいつらい!よし、この気持ちを認めよう」と一生懸命自愛をしていたのに、「あれ?最近モヤモヤしないしやることがないなぁ」と思うくらい平穏な時期ってあるんですよね。
そんなとき、私のように不安を生み出す天才だとこう考えます。
「これって自愛ができていないのでは……?自愛をしないとまた不幸になってしまうのでは……?」
こういうのをどう言うかご存知ですか?
本末転倒と言うんですね~笑
楽に生きるために自愛があるのに、いつのまにか自愛をすることが人生の目的になってしまっています。
結論から言いますが、特になにもなく平和な気持ちのときにわざわざ自愛のネタを探す必要はないですよ。
自愛のネタなんて、探そうとしなくてもまたすぐ生まれてきますからね笑
私はよく、ネガティブな感情を便意にたとえます。
「汚い」という声もあれば「おもしろい」という声もあって賛否両論なのですが、なにせこれ以外に適切なたとえ話が思いつかないのですから使わざるをえません。
この「悩みがないときはどう自愛をすればいいですか?」という問いは、「便意がないときはどう排便したらいいですか?」という問いと非常によく似ています。
便意もないのに無理やりトイレに座って、「うーんうーん、なにも出ない~!」と苦しんで、「悪いものはきちんと出さないと身体に悪い!病気になってしまう!」とひとりで狼狽している状態なんですね。
確かに悪いものは溜めておくと身体に悪いです。
でも、出ないものを無理やり出そうとすることに時間と労力を使うのはもったいないですよね。
電車内で便意に襲われている気の毒な人のことを想像してみてください。
便意がないということがどれだけありがたいことか……(遠い目)。
もちろん、本当に便意がないのと便秘なのはまた違いますよね。
心の話でいうと、「すごく苦しいのにどこから手を着けたらいいかわからない(出し方がわからない)」という状態が便秘に相当します。
これは私に相談してください。
自愛に行き着く人は真面目な人が多いので、「なにかに一生懸命取り組んでいる姿」を正義と考えてしまいがちです。
それはそれで長所ではありますが、裏を返すと「何も取り組んでいない私はダメ」という自己否定にも繋がるんですね。
だから、ただ幸せを味わっていればいいだけなのに「自愛ができていない私はダメなのかも?」と不安になったりするのです。
たまには「なにもしない」を頑張ってみるのもいいかもしれませんね。
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