「心配」という名の呪い

こんにちは、みのりんです。

今日は「心配」のお話。

 

「心配」ってね、呪いに似てるなーと最近よく思うのです。

行動を制限させる呪い。

心配されると身動きが取れなくなるんですよね。

 

たとえば、これは実話なんですけどね。

私は大学生の頃、母親がいないときに家で料理をしてはいけないことになっていたんですよ。

理由は、「家事になったら心配だから」。

笑っちゃうでしょ?

大学生ですよ?

周りはとっくに一人暮らしをしてる年齢ですよ?

でも、私は反抗できませんでした。

そりゃあ「もう子どもじゃないんだから!」くらいのことは言いましたが、結局は従っていたんですよね。

だって、母が

「お母さんを心配させるのがそんなにうれしいの?」

「お母さんを心配させてまで料理したいの?」

「お母さんはあなたのことを思って心配してるのにどうして反発するの?」

と言うから。

確かに私は料理がしたかった。

でも、「お母さんを心配させてまで」料理がしたいかというと、そうでもない気がする。

その2つの気持ちを天秤にかけたとき、導かれる答えはいつも「母に従う」なんですね。

お母さんを心配させてまでやりたいことなんてないし。

それをやらなくたって別に死にはしないし。

そうやって自分の気持ちに蓋をして、唯々諾々と従ってきたのです。

 

この話は極端にしても、似たようなことはみなさんも経験されていると思います。

「宿題しなさい!私はあなたの将来が心配で心配で」

「そのお友達と遊ぶのはやめなさい。悪い遊びを覚えさせられないか心配だから」

「友達の車で遠出するのはやめなさい。事故しないか心配だから」

 

子どもを信頼している親に育てられた人は

「自分がやりたいなら親がなんと言おうとやればいいじゃん」

と言いますね。

でも、過剰に心配する親に育てられた場合はそう簡単ではないのです。

 

やるorやらない

 

ではなく、

 

お母さんを傷つけてまでやるorやらない

 

なんですよね。

そんなの誰だって「やらない」を選びたくなります。

だってお母さんが大好きだから。

お母さんに認めてほしいから。

お母さんに褒められたいから。

 

そして世間と関わるようになると、お母さん以外の人も心配してくることがあります。

「結婚したほうがいいわよ。私はあなたが心配で言ってるの」

「子ども産むなら早いほうがいいわよ。不妊とか障害とかが心配だから」

「もっといい会社で働いたほうがいいんじゃない?将来が心配でしょ?」

相手はさすがに他人なのでお母さんほどの影響力はないにしろ、それでもやはり罪悪感は募ります。

「お母さんを心配させた罪深い私」

「お母さんに心配させてまで自分の意思を押し通した罪深い私」

そんな過去の罪悪感と重ね合わせて、「これ以上罪を重ねたくない!」と思って言いなりになってしまうことも多々あります。

 

でもね。

それは「呪い」なのだということに気付けたら、その呪いからは解放されるんですよ。

では、どうしてお母さんはそんな呪いをかけてしまったのか?

子どもを呪い殺したかったのか?

きっとそんなはずはなくて、お母さんはただ不安だっただけなのでしょう。

なにが不安かというと、簡単に言うと「子育て失敗」の烙印を押されることが不安だったのですね。

 

子どもが宿題をしなかったら、

子どもが火事を起こしたら、

子どもがニートになったら、

「子育て失敗」「母親失格」の烙印を押されてしまう!!!

 

本人は無意識かもしれませんが、そういう思いが根底にあるので、心配という名の呪いをかけて子どもの罪悪感を刺激することで自分の思い通りにコントロールしようとしていたんですね。

 

これは余談ですが、過剰に心配するタイプの母親って周りの母親をすごく批評してますよね。

「○○ちゃんママは毎週のように遊びに行ってるんだって。置き去りにされた子どもがかわいそうだと思わないのかしら?」

「△△くんは就職もせずにフラフラしてるんだって。あそこのお母さんは子育てに熱心じゃなかったから、愛情不足でグレっちゃったんじゃない?」

とか、平気で言いまくるんです。

どうしてそういうことを言いたくなるかというと、

「いつも子どもとベッタリ一緒にいる私は子育て成功」

「愛情深い私は母親の鑑」

と自分を納得させていないと不安だからですよね。

 

話を戻しましょう。

子育てでも恋愛でもなんでも同じことですけど、「心配」って「信頼」よりずっと簡単なんですよね。

信頼しようと思ったら、余計な口出しや手出しをせず、自分の思い通りにならなくてヤキモキしても自分で処理しなければなりません。

でも、心配するだけなら口出し手出しし放題ですし、なんでも自分の思い通りにできるのでヤキモキしなくて済みます。

しかも「心配する母親」ってなんだかとっても母性に溢れていて女性らしい感じがするのでパッケージとしても非常に魅力的なんですよね~。

こんなの、心配したくなって当たり前ですよね!

うまくできていますね。

 

さて、そろそろまとめましょう。

ここまでで、心配する人がどういう気持ちなのかがわかっていただけたと思います。

そうしたら次に考えるべきなのは「心配される人」がどうすべきかということですね。

これは本当にいろんな方法があると思いますし、各々の性格や自愛の進行度にもよるところがあると思います。

 

たとえば、

「ウザい!心配しないでよ!もう子どもじゃないんだから!」

とキレる。

これも自分の心に嘘をつかないという点では非常に良いのですが、「なにぃ!?心配してやってるのに!!!」と火に油を注ぐ結果になるかもしれません。

まぁたまには本気のバトルも楽しいでしょう笑

 

他には、完全に無視するという方法もあります。

「私はあなたの要求には応じません。あなたが考えを改めるまで口を利きません」という無言のアピールですね。

これも自分の心に正直になっているので良いことだと思いますが、冷戦状態が長引きますし、人を無視し続けるのにも労力を使うので精神力を消耗するかもしれません。

 

そこで私がオススメなのは、心配を華麗にスルーして幸せに生きることです。

「○○はやめなさい!心配だから!」

「○○しなさい!心配だから!」

と言われたら、「ほいほーい」と気軽に返事をします。

で、絶対に言う通りにしない笑

「なんで言う通りにしないの!?」

「お母さんはあなたのためを思って言ってるのに!」

「この親不孝者!」

などと挑発されても絶対に乗らず、「なんでだろ~なんでだろ~」とテツandトモのように踊りながら回避。(実際に踊ると挑発と受け取られるので心の中で踊りましょう)

そして、自分の今できる範囲でできるだけ幸せに過ごすことです。

お母さんになにか言われるたびにまたモヤモヤするかもしれませんが、そのモヤモヤは自愛できちんと認めて、「お母さんは自分が不安なだけなんだ」と気付くことである程度平常心に戻れるはずです。

そしてまた幸せに過ごす。

引き戻されても引き戻されても、できるだけ幸せに過ごす。

この方法がなぜオススメかというと、結果的にお母さんの子育てを肯定することができるからなんですね。

お母さんに幸せな姿を見せ続けることで、直接言葉にしなくても

「私は幸せだよ!だからお母さんの子育ては成功だね!産んでくれてありがとう!」

ということを伝えられるからです。

 

正直なところを言うと、こんなことを伝えるのは癪に障るんですよ笑

だって心配されたらいちいちウザいじゃないですか?

今までだってずっと心配されてきて行動を制限させられて自分の意見なんて全く聞いてもらえなくて、どれだけ悲しい思いをさせられてきたことでしょう。

暴言を承知で言わせていただくなら、

「ふざけんなオカン!」

「今までの行いをちったぁ反省しろや!」

「とっとと子離れして自分の人生に集中しやがれクソババァ!」

という感じです。

だからこちらが歩み寄る必要なんてない!と思う気持ちはすご~~~くわかります。

 

でも、歩み寄れるなら歩み寄ったほうがいいでしょうね。

もちろん無理にとは言いませんよ。

いろいろな事情があるでしょうから、一概には言えません。

しかし、これだけは言えます。

あなたが幸せに生きる努力は絶対絶対やるべきです。

お母さんに歩み寄るにしろ歩み寄らないにしろ、あなたが幸せに生きることは全ての人にとってプラスになることだからです。

お母さんを無理に許す必要は全くないのですが、お母さんへの当てつけのように不幸に生きる必要も全くないと思うのですよね。

当てつけというのは、

「ほら私はこんなに不幸!ほら私はこんなに生きづらい!これ全部母親であるあんたのせいよ!あんたの子育ては失敗したのよ!」

と知らしめるためにわざと不幸から抜け出さないパターンのことです。

これを続けているといつの日にかお母さんが改心して

「ごめんね……気付けなくてごめんね……お母さんが未熟だったの……許してね……」

と泣きながら反省して抱きしめてくれるような幻想を抱いてしまうのですが、そんな日はきっと永遠に来ませんよ。

残念ながら。

あなたが不幸になったって、お母さんは自分の子育てを反省するどころか「お母さんがなにをしたって言うのよ!?周りの子はみーんなちゃんと幸せになってるのに、なんであなただけ普通の人生が送れないの?この親不孝者!」とかなんとかいってまた怒られるだけです。

だからそんなお母さんのことは華麗にスルーして、自分は自分なりの幸せを模索していくしかないんですよね。

 

私も今は偉そうなことを書いていますが、20代前半の頃はほとんど親への復讐のために生きていましたからね笑

ほんとひどい話なのですけど、遺書を常に持ち歩いていたんですよ。

その遺書には、

「私はお母さんの言いなりになるのがずっとイヤでした。もっと私を信じてほしかった。もっと私の意見を聞いてほしかった。もっと私を褒めてほしかった。お母さんの認めるいい子になりたかったけど、それをずっと目指していくことに疲れました。積極的に死ぬ勇気はないけれど、もしなんらかの事故で死ねるならそれは本望です。もうお母さんの言いなりになる人生は終わらせたかったので」

みたいな中二病臭いことを書いていました。

もし私が死んだら、母がその遺書を読んで自分の子育てを悔やんでくれるだろうなーと思ったんですよね。

私はさんざん苦しい思いをしたから、母も苦しめばいいって本気で思っていました。

でも、結局それって私も苦しいんですよね。

死後の世界が本当にあるのかはわかりませんが、もしあったとするなら母が苦しみ続ける姿なんて見ていたくないし、しかも「やっぱり謝りたい」と思ってももう二度と訂正できないわけですから、私も絶対に苦しいはずです。

だから私は遺書を持ち歩くのをやめました。

私の親は毒親だったと今も思っていますが、それでもやっぱり大好きなお母さんであることには変わりないんですよね。

子どもって本当にけなげな生き物ですね。

 

長くなりましたが、心配は華麗にスルーして楽しい人生を送りましょう!


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