新型コロナウイルス感染拡大によせて

こんにちは、みのりんです。

ずいぶんご無沙汰していて申し訳ありません。

まだブログを書けるような時間的余裕があまりないのですが、非常事態ということで急いで書いています。

誤字脱字があったらごめんなさいね。

 

さて。

新型コロナウイルスの問題が広がっており、全国の学校が休校になるという異例の事態も起きています。

みなさんの心境はいかがでしょうか?

不安、恐怖、怒り、怯え……

ネガティブな感情がどんどん浮かんできていると思います。

自愛的にいうと、それは浮かんでくるままにしておくのが正解でしたよね。

「不安になっちゃダメ!」とか、

「強くならなきゃダメ!」とか、

そうやって感情の抑圧をしたり思考の修正をしたりするのはNGです。

このブログを読んでいる方はただでさえ不安になりやすい方ばかりだと思うので、不安になるなというほうが無理なんですよね。

だから不安になっていいのです。

不安なまま、こんなときだからこそ私からお伝えしておきたい2つのことを聞いてください。

 

まず1点目は、悪者叩きや犯人捜しに大事な命を使わないでほしいということです。

安倍首相の対応が後手後手だとか、

デマを信じてトイレットペーパーや生理用品を買い占める人がいるだとか、

学校を休校にするなんてシングルマザーのことを何も考えていないとか、

中国人さえ日本に入れなければこんな混乱は起きなかったとか、

いろいろ思うところはあるでしょう。

でもね。

それをずーっと考え続けたり延々言い募ったりすることは、他でもないあなたの命の無駄遣いだと思うのです。

過去の過ちは過ちとしていずれ検証して未来に活かさなければなりませんが、過ちの検証は少なくともこの混乱しているときに私たちのような一般人がやるべきことではありません。

 

では、私たちができることはなにか?

それは、自分と自分の大切な人を守り、自分のできることを最大限やることです。

当たり前のことを言っているように感じるかもしれませんが、これを本気でやろうとすると「安倍総理が~」「中国人が~」などと言っている余力はなくなります。

それくらい労力を使うからです。

「自分のできること」といっても、そのお役目は人それぞれなので国や自治体や私が指示することはできません。

医療従事者であれば医療の仕事に最大限取り組むことかもしれませんし、

専業主婦であれば家族の免疫力向上のために食事や衛生管理をすることかもしれません。

子どものいる人であれば自分の子どもを不用意に外出させないために会社を休んで見守ることかもしれませんし、

独身の人であれば子持ちの同僚のサポートをすることかもしれません。

このような非常事態ですからそもそもなにが正しくてなにが間違っているかなど誰にも判断のしようがありませんが、それでも自分なりに「これが私の役目(のような気がする)」と思うことを粛々とこなしていくしかないと思うのですね。

そうやって自分と自分の周りを守ることを最大限やって、それでもまだ余力があればもっと視野を広げて大きな活動をすれば良いと思うのです。

 

実は、これは非常時でなくても同じことです。

たとえば、「男性は女性の生理のつらさをわかっていない!」などSNSで吠えている人がいますよね。

これは私から言わせると順序が違うのです。

「男性は~」「女性は~」と対象を一般化して大きな話に持ち込むことはほとんどなんの意味も為さないのですね。

この人が本当にやるべきことは、まずは自分と自分の周りを変える取り組みをすることです。

「私はこんなに生理がつらいから、今日と明日はまともに家事ができなくても責めないでほしい。そしてできればあなたが家事をやってほしい」

「男性には生理のつらさが理解できないのは当たり前だと思うから、せめて『生理は病気じゃないだろ』などという言い方はやめてほしい。そういう言い方をされるととても傷つく」

などと、自分のいちばん身近な男性に生理を理解してもらうよう努力すべきなんですね。

やってみるとわかると思いますが、これは本当に本当に大変ですよ。

ツイッターで「これだから男はクズなんだよ」とか言っているほうが1億倍楽です。

でも、それでは世界は変わりません。

自分の周りすら変えられない人が世界を変えられるはずがないからです。

まずは自分と自分の周りから。

それができたら、余った時間と労力を使って世間を変える。

この順序だけは忘れないでほしいと思います。

 

そして2点目は、死の覚悟を決めることです。

私たち今、安定的な長寿と平和を手にしています。

しかし、人類はこれまでの長い歴史において「飢え」「疫病」「戦争」の3点に長らく苦しめられてきました。

赤ちゃんが死ぬのは当たり前、出産で死ぬのは当たり前、飢饉で死ぬのは当たり前……そんな時代のほうがずっとずっと長かったのです。

人類にとって理不尽な死というのはいつもそばにあったはずなのに、私たちはいつの間にかそれを忘れかけていましたよね。

もちろんコロナ騒動など起きないほうが良いに決まっていますが、それでもこんな騒ぎにでもならなければ私たちはまたさらに慢心していたと思うのです。

飢えからも、疫病からも、戦争からも、守ってもらえて当然。

守ってもらえなければ「人災!」「人殺し!」と叫ぶ。

そんな生き方が幸せならそれで良いのですが、私はとても幸せとは思えません。

私たちはもともと、いつ死んでもおかしくない生き物です。

死因はコロナウイルスかもしれないし、交通事故かもしれないし、地震かもしれませんが、とにかく当たり前に生きていられると思っていること自体が傲慢だったんですよね。

私たちは不安になると不安を解消しなければ幸せになれないと思いがちです。

今回の件でいえば、コロナ騒動が収束しなければ幸せになれない、生きた心地がしない、と思うことでしょう。

その気持ちは私にもすごくわかります。

「コロナさえ終われば……」と何度も思いました。

でもね。

コロナ騒動が終わる前に、自分の命のほうが終わってしまう可能性だって充分あるんですよね。

それは安倍政権や中国人のせいではなくて、ヒトがヒトだからです。

ヒトは本来、ちょっとした疫病でバタバタを死んでしまう生き物なのです。

 

だとしたら、私たちにはなにができるでしょう?

私は、コロナウイルスに不安を感じながらも1秒でも幸せな時間を増やすことだと思います。

24時間のうちの23時間59分は不安でも、1分くらいは笑ってみませんか?

その1分が10分、20分、1時間と増えたらもっといいですよね。

「明日死ぬとしたらなにをする?」というありふれた問いが、ここでようやく現実味を帯びてきたような気がします。

みなさんは明日死ぬとしたらなにをしますか?

私はきっと、なにもしないと思います。

周りの人に感謝を述べるとか、やり残したことを手当たり次第やるとか、そういういかにも「最期」っぽい過ごし方はしたくないんですよね。

「また明日ね~」と、明日が永遠に続くような顔をして死んでいきたいです。

 

私は昨日、夫にこんな遺言めいたことを言いました。

「もし私が明日死んだらなにを後悔するだろうって考えたんだけど、特に思いつかなかったんだよね。ただ、贅沢が言えるなら一度でもいいからあなたと一緒に暮らしてみたかったな(私たちは4月から同居予定です)、とは思うけど、私は明日死んでも思い残すことはないよ」

いつもおだやかな夫は、めずらしく大きな声で「みのりんは死なないよ!!!」と言いました。

私はそれ以上言い返しませんでしたが、「私は死ぬよ」と心の中で思いました。

夫は死から目を逸らしたがっていましたが、私は逆にますます死を直視したくなりました。

そして、死を直視したときの心の動きを観察したくなりました。

私は死に際してなにを恐れ、なにを望むのでしょう。

それを知りたいし、書き残したいと思いました。

そんな気持ちで今このブログを書いています。

 

「1日1日を大切に生きよう」なんてありふれた言葉ですが、私は大切に生きなかった1日も大切に生きた1日も等しく私の人生だったと思っています。

私という人間が、人を好きになったり憎んだり、「早く明日が来い」と願ったり「明日なんて来なければいいのに」と呪ったり、適当に時間をやり過ごしたり1秒1秒を噛み締めたり、そうやって右往左往しながらなんとか寿命を全うしたということがなんだかとても愛おしいんですよね。

あ、「寿命を全うした」と書きましたが、それは平均寿命まで生きたという意味ではないですよ。

私が明日死ぬのだとしたら、それが私の寿命だったということです。

 

なんだか本当に遺書みたいなブログになりましたね!

でも今のところ私は元気です。

コロナウイルスにかかってもきっと1度くらいはブログを書けるはずなので、この記事が遺書になることはなさそうです。

ご安心ください。

そんなこんなで、みなさんがなにかを考えたり感じたりするきっかけになれば良いなと思いながらこの記事を終わります。

みなさんの心が少しでも安らぎますように。

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